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ネタ記事について語ってみる
君主新聞にはネタ記事と呼ばれるものがある。まぁ、ネタ記事と言ってもいろいろあるのだが、σ(・m・ )的にまとめると、以下のような三つの系統がある。
■ 情報ネタ記事
或る情報を面白おかしく紹介する、または、面白い情報を紹介する記事。情報自体が面白い場合もあるが、本来的には然程おもしろくないネタを、記者の妄想や偏見などで装飾し、楽しい情報として紹介する。
■ コラムネタ記事
ある事象に対して、記者独特の特殊な視点から考察を加えた記事。ある物事に対して、一般的な視点ではなく、敢えて偏った視点を用い、読者に笑いや意外性を提供する。
■ 創作ネタ記事
完全・半完全な創作記事。所謂イメージ記事。既存の物事に対して、空想や妄想を働かせ、事実に基づかない新しい世界観・ストーリーを描き、読者に笑いを提供する
こんなとこじゃな。まぁ全部これに分類できるとは思わんけどね。
まぁσ(・m・ )は娯楽系情報記者だったので純粋なネタ記事というのは書かなかったのだが、ハッキリ言ってσ(・m・ )はネタ記事がスキだ。ぶっちゃけ、σ(・m・ )みたいな情報記者より、ネタ記事記者のほうが君主新聞記者の正統だと思ってるねw
なぜかというと、君主のユーザーというのは、君主に遊びに来てるわけで、何もクソまじめなお勉強に来ているわけではない。なので、笑いを提供できる記者こそが正統なんだとσ(・m・ )は思ってる。まぁσ(・m・ )にはセンスがないのでネタ記者は無理だけど、それなりに普通の情報というのも楽しく読めるようには工夫はしたつもりだ。
ただ、ネタ記者ってのはハズすことも常にある。まぁそういうリスクを掛けて書ける記者ってスゴイと思うんだけど、まぁネタでハズす理由ってのが明らかなのよね。理由は簡単、読者との親近感。ハズすネタってのは、大抵記者の妄想・独創が先攻しちゃってる。そんで読者がその独創についていけず置いてけぼりになっちゃうわけよ。だから「妄想だの小説はブログでやってくれないか」という感想を持つ人が多くなるわけです。
逆にハズさないネタ記者ってのは、読者の親近感ってのをうまく捉えてるもの。読者に「あーあるあるw」「言われてみると納得!」とカンジさせられる範囲でネタをまとめられるから共感が得られるのです。結局は前者と同じ「妄想」や「小説」の類なんだけど、共感できてしまうから「ブログでやれ」とは言われないのです。芸人でもいるでしょ?くじらくん。彼のネタはほとんどの人にとって全く内容的には共感できないワケだけども、視聴者はそういうマニアックな人を見て「うわっ、こんな奴いたらウゼェwww」っていう皮肉(心理)で笑うのです。単に独創や趣味だけじゃ読者にウケるネタってのは無理、人間の何がしかの心理や共感に引っかかるようなものがハズさないネタ記事になるんだろうと思う。
多くの名作と言われる小説や戯曲などがそうだけど、やっぱり人間の心理というか共感できる点ってのをしっかり抑えてるよね。それは人間の「日常」であったり「願望」であったり、或いは「恐怖」や「皮肉」であったりといろいろな形の心理であるわけだけれども、やっぱりそういう面で共感できちゃう(心理に働きかけられる)ものこそが名作として残ってるように思う。太宰やシェイクスピアなんかその最たる例と言ってもイイだろうね。太宰の人間観・シェイクスピアの心理描写、ハッキリ言ってあんなものは見たくもない「人間」の姿なんだけれども、それでも「人間とは世界とはそういうものなんだ」という現実が読者の心を抉る。どんなに反論したくても太宰やシェイクスピアの人間観は、心の奥底に小骨のように引っかかるんだよ。だから名作として残ってきたんだろうなと感じる。
話をちょっと戻すけど、σ(・m・ )がネタ記者でスゴイと思う人は何人かいる。けど、共通するのは、読者を意識してる点。読者がしっかり付いてこれるような書き方やその範囲でまとめられるがネタ記者ってスゴイなと思う。