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君主新聞の双方向性

君主新聞の大きなメリットは、記者・読者の双方向性にある。例えば、何か記事が書かれた際、それに対して読者がコメントで反応し、それに対して記者が更に反応するという事ができるわけだ。

ところが、先日、コメントに規制が掛けられ、1日に1アカウント1コメントしか書けなくなってしまった。これは記者にとっても読者にとっても相当大きな痛手だよね。
例えば、ある記事に対して、「こういう記事は記事としてどうだろう?」というようなコメントが挙がったとする。もし、一日にいくつもコメントが書けるならば、その場で記者・読者間でも意見のやり取りが出来、議論になったわけだけど、コメント規制でそれもできなくなってしまった。また、コメント規制で、記者が読者コメントに丁寧に返事することもままならなくなってしまった。相当痛手としか言いようがないな…。
今でもその規制の原因となった方は複数のアカウントで記事とは無関係のコメントを複数残してるみたいだけど、「1アカウント1日1コメント」という規制が、「1人1回しかコメントしちゃいけない」のか「1アカウントでコメントできなきゃ複数アカウントでやればイイ」のか、どういう意味で規制が設けられたのか考えるべきだと思うんだ。σ(・m・ )は記者時代にハッキリとコメントで言ったぜ?コメントマルチは立派な迷惑行為だから自粛しろって。

当時の記事コメント

閑話休題。σ(・m・ )の考える君主新聞の理想像は、記者が記事ネタを読者から受注できるような状態が理想。
どういう事かと言うと、読者の誰かが「これについて記事を書いてください」と声を挙げる、ソレを見て記者の誰かが記事を書く。そんな感じ。

これは、記者が「書くことないからネタ募集中です」とかぶざけた事を抜かすスタンスとは違って、読者が欲しいネタというのを気軽に声に出せる受け皿を用意しておくってことが目的の考え方。
(「ネタ募集」と言うのが受け皿だと言う人がいるかもしれませんが、違いますよ?ネタ探せない人にネタあげたところで程度が知れてますからね、読者はその程度の記者のクオリティで欲しい記事を書いてもらっても役に立たないわけです(σ・・ ̄)ホジホジ) 今までは、記者が書きたいことを書くっていうのが常だったけど、読者が書いて欲しいことを書くっていうのも有ってしかるべきだと思う。例えば共有のオフィシャルな新聞掲示板でも作れば、そこに読者が書いて欲しいネタを書き込んで、それを見た記者の誰かがそれについて書くっていうシステムができるんじゃけど、σ(・m・ )が任期中はそこまで頭が回らんかったな。

もちろん、記者が独自にネタを見つけて書くって従来のやり方も無きゃいけないけどね。つーか、ネタを自分で見つけられない記者なんて無能だし。まぁ、現実問題、書きたいネタがあっても中立性の問題とか、タイミングの問題とかで書きたいネタを書けないこともままあるっちゃあるけど、ネタなんて足で探せば見つかる。簡単な話、見つからないって人は、記者の目で物事見てないから。なーんも考えないで物事見てるのと、何か考えながら物事見てるんじゃぜんぜん違う。

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