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ひさしぶりに来たのでなんか書く

久々に君主のことについて書いてみる。というのも、お盆ということもあり、久々に君主にINできた。ちなみにまだ復帰はできない。残念ながら体調は芳しくないので、いつになることやら…。しかし、すごく久しぶりに、君主世界を見、君主新聞を読んだので、ちょっと気がついたことについて述べてみる。
ついでなんで画像ペタリ…

君主と国について
うん、もう「国は淘汰されていく政策」で推し進めてっていいんじゃないかな?薙ぎ払う存在氏が新聞で言うように、「均等配布は予算の使い道を国に回す」ことなわけだけど、朱丸・アルフォンス・紅蓮虎1・2期と4期均等配布主体の政権が続いて、国の予算があっても、一行に過疎国は国の人材を潤す政策を打てなかったわけでしょ?6ヶ月ぶりにINしてちっとも過疎国の状況は変わってなかったしね…

そうなると過疎国にはもう、国の経営能力がないとしか評価下せないんだよね。だからどんどん政権として国を淘汰していってイイと思う。国が予算を活かせないこと分かりきってて均等配布はムダだよ…逆に「新規の人材がいらない、今いる国民でまったりとやっていきたいんだ」って国もあると思うけど、そういう国は四葉がなくたってマイペースに続けるでしょ、国としての機能維持だけなら四葉予算はいらないしね。

君主新聞について
んと、11期・12期とまとめて読んだ感想は辛口しか書きようがないから辞めときます、想像以上にヒドイのが多かった。イイ記者もいたけどね。N氏・T氏・G氏・S氏・E(?)氏の記事はまぁ読者として面白い記事ではあったし、むしろ無くちゃいけない記事だと思った。どこだかの大衆新聞で「現在の新聞は第二世代記者の記事のカタにハマってる」ということが書かれてたような気がするけど、逆にそれを淘汰する必要はない。カタにハマってるものも必要だしね。オーソドックスなものが無い新聞なんてツマランよ、そこに目新しさというか革新的なモノが加わるから面白くなるんであってね。まぁオーソドックス+αの記事が必要なのは事実だけど……自分の意見は大衆新聞のような「記者の意見ありき」のコラムや「主観的人物評を絡めた」批評がプラスαとして必要とは思わないな。
「新聞に記者の結論なんかイラナイ、記者が事実を書いて、読者に問題を提示して考えさせる」
これが新聞のベストスタンスだと思うしね。
現実世界でもわかるでしょ?記者・新聞社が独自の主義主張をどんどん押し進めた結果が今の日本なわけよ。小泉に流され、民主に流され、また自民に流される…報道の主張に流されるのが大衆の大多数ってこと。記者が結論を書くことによって、どんどん読者は考える力を放棄するんだよね、だから理想を言えば新聞に記者の結論などはイラナイ。結論や主義主張が必要なら「評論」とでも言っておけばよい。新聞や報道というのは読者自らが結論を考えていけるようなものじゃなければ意味が無い。自分的には、紙面から記者という存在が消えたままに、社会的なテーゼを問い掛けられるのが理想の新聞だと思うんだけどね。もっとも自分みたいな我が強いタイプはやれと言われてもなかなか難しいけどさw
いずれにしても、大衆新聞は「新聞」として読むべきものではないとは思ってる。自分は意見としては面白いとは思っているし、リスペクトはしているけども、筆者の性格からしていずれは批判が目的になることは目に見えてるし、間違ったことも訂正しないという性格もなんとなく文面から感じられるからブログ同等の「読み物」として読むべきものだろうという風には思ってる

まぁそれはイイとして、自分が久々に君主新聞を読んで感じたのは君主新聞に記録媒体としての要素が弱いのかなぁということ。ちなみにコレは11期・12期だけじゃなく、それ以前の記事も含めて(自分も含む)のことね。

以前、自分は「系統分け」で広報型記事を先行広報型と事後広報型に細分化したけど、先行広報型(未来にこんなイベントがある)というような記事はタニースさん・紅蓮虎さん・影羅さんの記事のようにあるんだよね。それは過去記事にも政権イベントの告知手段として多くあった。ただ、事後広報型記事(過去にあったイベントの様子を報告する記事)に関してはものすごく弱い。むしろほとんどないと言って良い。自分は数ヶ月以上君主新聞を読んでいなかったし、君主にもINしていなかったわけだが、久々に君主新聞をまとめて読んでも、ブランク期間に政権が行った活動は「コレをやった」程度はわかっても、「実態(様子や成果)」はちっともわからなかった。

これは歴史に例えると、こんなことになる。
何年何月に○○事件が起こったということは新聞からわかる。だけど、その事件がどういう内容だったのか、どんな様子だったのか、成果は?、反省点は?といった重要な内容は新聞に一切書かれていない。だから、新聞を見ても「こういう事があった」という情報の羅列を見ることができるだけで、何一つ未来に活かせることがない。

以前、確かてんおうさんだったと思うが「国のイベントの記録を残すことは誰かがやらなきゃいけない」と言っていたと思う。その言葉が、久々に新聞を読んで思い浮かべられた。ヤンパのHPを見るとわかるけども、てんおうさんの言う「記録」というのはそこに起こった事象まで詳しく書かれている。そこまで書かれて初めて「人の記憶」に作用するのだ。データの羅列だけでは何ら「記憶」に作用しない。見返しても、「あぁこのイベントはこんなことが楽しかった」「ここがダメだったから次はこうしよう」、そんな記憶に結びついていかない。そういう面で、君主新聞は記録媒体として「記憶」に作用するものに成りえていないんじゃないかなと感じた。そうなると、君主新聞は、「未来の政権に対して作用するに足るもの」には成りえていないんだろうと感じる。自分もポガメ花火大会については事後報告記事を書いたけれど、ぶっちゃけ、事後報告記事の重要性は分かっていなかったな…。

政権について
前のブログで言ったこともあるけど、「配布」ってキライだなぁ……。国にせよ、マーケットにせよ、「販売」にして政権予算を確保すべき、もしくは四葉をイベントなどの「褒章」にすべきだね。というのも、白虎時代に予算がなくて苦しんだからなんだけどね。販売は不透明だからタブーとかいろいろ言う人もいるけども、まずはメリットを見ようよ。デメリットばっかり見てるから進歩がなくなると思うんだよね…。

自分の考えでは、四葉ってのはそれ自体が重要なのではない。四葉を配るのが重要なんだったら、君主に政権なんて制度イラナイ。運営がラッキークローバーでも全員に配布すればイイだけの話。

わざわざ君主に「政権」という制度があり、「取引可能な四葉」が支給されるってことは、“四葉を「予算」として政治を作れ”が運営の意図ってことじゃろ?なんで予算を無料で配布するのよ…

「四葉」って「どう配るか」じゃなくて「四葉を使って何が行えるか」だと思うんだけどなぁ。近年の君主は、四葉そのものが「目的」となっているけども、四葉を「手段」として扱い「目的」を作り上げられる君主がいると面白いんだけどね。そういう意味じゃロイズさんとかqqけいppさんとか九紋竜史進さんの政権は「政治」ではなかったけれども面白かったんだけどね。

イベントの目的意識
なんかあるイベントに参加してゲンナリした……初心者向けのクイズイベントだったんだけど、そのクイズの内容ががが……。

イベントというのは、「コンセプト」が第一。それを元に「企画」・「集客」・「実施」が行われるべきだと思うんだよね。だけど、参加したイベントというのが「コンセプト」と以下3つが大きく食い違ってどうしょもないイベントに成り下がってた。「コンセプト」が「初心者向け」なのに、「実施」のクイズ内容は「私が最後に買ったCDはなんでしょう?」とかそんなのだった…えっと、それって初心者が興味もって参加してくれるの?実行者を知らない初心者が楽しいと思うの?
そのイベントは複数回行われたらしいのだが、どうも話を聞くと、徐々に参加者が減り、自分が参加した時には「身内のみ」のイベントとなっていたらしい。「そんなことを政権として予算使ってやっているのは腹が立つ」という意見も多数聞いた。まぁ、そんなイベントならワシも1回参加しただけでそう思った…。完全に「コンセプト」忘れ去ってて、自分が主催者として楽しいかどうかになってるよね…

今後もイベント政権というものも行われるだろうし、国でもイベントが行われることもあると思う。だけど、イベントとして大事なのは、主催者が、お友達がどう思うかじゃない。「見知らぬ参加者が楽しんでくれるかどうか」でイベントは全てが決まる。それを忘れたらイベントは失敗するだろうなぁと感じた。
もっともコンセプト云々はイベントだけに限らないけどね、政権にせよ、新聞にせよ、元々のコンセプトが忘れられていくのはよくある話。改善を求める声が、そのうち批判に代わり、やがて批判そのものが目的になっていくようにね。大事なのはコンセプト。これを忘れたらイカンね。

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